遠くに見えるのが与座岳です。沖縄戦においては最後の防御線であり激戦地でもありました。水之江様のサイト「沖縄戦史」に「与座地区の戦闘」が克明に記録されています。
今回は与座岳の東側にある大里地区が現場になります。
県道から一歩中に入れば鬱蒼としたジャングルです。この日はガマフヤー代表と二人での作業になりました。
ここには日本軍の陣地壕がありましたが米軍の爆撃により壕の入口は崩れ落ち、わずかに開いた穴から腹這いになるような形で壕の中に入りました。入口付近にはハブがいることが多いそうです。
内部は常に湿っていて水たまりもある。天井は低く足下は粘土質の土なので非常に歩きにくい。石が一か所に集められている。以前に遺骨収集が入った跡だそうです。
遺留品はそのまま置いてある。
壕内部はコの字形になっておりもう一方の出入り口があったであろう場所は崩れて埋まっていた。内部から掘り進めるより外から掘った方がいいということです。
ここが外側です。すでにご遺骨や遺留品などが発掘されていました。この日は私がこの穴を掘りました。
粉々になったご遺骨。
米軍の銃弾があるということは、ここまで米軍が入ってきたという証拠です。
日本軍の装備金具など。
さきほどの陥没壕の入口を掘っていきますと瓶がでてきました。日本軍の薬瓶だそうです。
黒く焦げた土の層があり、そこを掘っていくと金属片が出てきました。
遺骨収集はとにかく範囲が広いので、まずは壕などの確率の高い所から掘っているそうです。一人が一日に掘れる量は少ないです。しかも丁寧に掘っていたらなおさらです。それでもコツコツやるしかないのでしょう。この下に待っている人がいるかもしれないのですから。