ラベル 南風原町 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 南風原町 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013年4月7日日曜日

南風原文化センター

南風原文化センターでは前記事の「沖縄陸軍病院 南風原壕群20号」をリアルに再現したものが常設展示してあります。実際の壕内でガイドさんにお話を聞いていたので自分が想像した通りでした。

入館料300円を支払い、再現された壕を入ります。

「飯上げ」
食糧を運搬する女学生の姿が見られます。

ガイドさんから聞いた通り、壕の幅・高さはともに1.8m、壁際に幅90cmの簡素な2段ベットが作られていました。



二段ベッドの下段に体験用寝台がありましたので横になってみました。

横になり上段ベッドの板を見るとこのような説明板がありました。その臭いはきっと、この世のものとは思えないくらい酷いものだったのでしょう。それに怪我を負ったり、手や足を切断された兵士はこの暗闇で一日中痛みに堪え、どんな思いで過ごしたのでしょうか。そして学徒隊の方々が不眠不休で兵隊さんの看護、それに命懸けで飲み水や食糧を運んできていただいたのです。

19壕と21壕の分岐の場所が手術場となっています。

入口を振り返ってみますとこのようになっています。

実際にはカーブがつけられ入口は見えません。

どこの病院壕でも聞く話が医薬品不足でろくな治療ができないので手術といっても麻酔なしで処置することしかできなかったそうです。



軍は壕を捨て、撤退するときには自分で歩けない重症患者には青酸カリが配布された。命を助ける病院が軍組織によって命を奪う場にされてしまったと書かれています。

岡さんは青酸カリを飲んでも吐き出して、命からがら逃げる事ができました。

南風原村の戦没者名と日本軍兵士の遺留品。





南風原文化センターの正面横にある強烈な壁画「時の記憶」。よく見ると人に目になっていて涙が流れている。南風原文化センターは南風原・沖縄に関する歴史資料や沖縄戦に関する展示以外にも移民やむかしの暮らし等の展示を行っています。

南風原文化センター
沖縄県島尻郡南風原町字喜屋武257番地  TEL:098-889-7399 FAX:098-889-0529 
[開館] 午前 9 時~午後 6 時 [休館] 毎週水曜日 ・ 12 月 29 日 ~ 1 月 3 日  




2013年4月5日金曜日

沖縄陸軍病院壕群20号壕

沖縄陸軍病院壕群20号壕の入壕は予約が必要です。南風原町立南風原文化センター(098-889-7399)で予約を入れて、受付で見学料300円を支払いますとガイドさんに案内していただけます。壕内は暗闇なのでヘルメットと懐中電灯を借りて中に入ります。こちらの壕のようにしっかり管理されガイドさんもいるところは少ないですが、やはり説明を受けながら壕に入れるのは、目と耳から同時に情報がはいるのでとても分かりやすく当時の状況が目に浮かびます。

沖縄陸軍病院の説明
いただいたパンフレットから転用させていただきました。

壕入口付近に置かれた医薬品類

このツルハシで70mもある壕を掘った。岩盤は固くて一日にそんなに掘れなかったそうです。相当な人も時間もかかったのでしょう。ここは自然のガマを利用した壕ではなく、完全な人工の壕です。

幅・高さはともに1.8m、壁際に幅90cmの簡素な2段ベットが作られていていたとのことですので、とても狭いです。また、雨水がたまらないように傾斜をつけたり、米軍に見つからないようにカーブさせたり、いろいろな工夫も施されている。

手術場(下のパンフレットを参照)から左手が19号に繋がる通路(落石している)

そして、右手が21号への通路(縦穴がある)

壕内の説明
いただいたパンフレットから転用させていただきました。


沖縄陸軍病院壕群20号壕出口。ガイドさんの説明を受けながら約20分で外に出ました。

ガイドさんが「せっかく来たのだから、飯あげの道を歩いてください」と最後にここまで案内していただきました。陸軍病院壕での看護に動員された女学生たちは、アメリカ軍の砲弾をかいくぐって、「飯あげの道」を通って近くの集落で作られた食事や水を壕に運びました。

女学生たちは飯の入った桶に棒を通して二人でかついで歩いたそうです。壕内での食事はこの飯で作ったおにぎり一個が一日分だったそうです。

「飯あげの道」の途中に南風原陸軍病院壕と悲風の丘がありました。