2013年2月24日日曜日

喜屋武岬

平和の塔

糸満市喜屋武部落一帯、周辺海岸で戦没した軍人、住民10,000余名を祀る。(さらっと読み過ごさないで下さい、一万人です!)沖縄戦が終焉に近づくころ、守備隊将校や住民は押し寄せてくる米軍に本島最南端の喜屋武半島の一角に押込められ、激しい集中砲撃にさらされ数えきれないほどの犠牲者を出した。

第六十二師団は二十二日、ついに力尽き、師団長以下師団幹部が自決して玉砕した。翌日、摩文仁の軍司令部では牛島軍司令官と長参謀長が自決、軍としての組織的戦闘に終止符を打った。軍は壊滅し、岬の戦場に取り残された一般住民は悲惨であった。ある者は手榴弾などで自決し、またある者は岬の崖から身を投げるなどして多くの人々が悲惨な最期を遂げた。さらに、ここから望む南端部は「ひめゆり学徒隊散華の跡」がある荒崎海岸です。

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