2013年2月20日水曜日

摩文仁遺骨収集奉仕 1

平成25年2月16日 17日 (両日)、第40回金光教沖縄遺骨収集活動に一般参加しました。活動内容の趣旨はとして金光教那覇教会は活動の窓口として、沖縄の地にいまだ人知れずねむる沖縄戦戦没者の遺骨収集活動を行い活動の最終日に戦没者の慰霊祭を行います。
午前8時50分に旧慰霊奉賛会事務所前(平和祈念公園内)に集合。受付と同時に傷害保険代300円を支払い、名簿を渡され自分がどの班なのか確認します。名簿を見ると半数以上の方が内地からの方々で、この遺骨収集奉仕のために集まられていると知りました。すぐに各班に分かれて整列したあと主催者からの注意事項と説明がありました。ラジオ体操で体をほぐしてから班ごとに集合してから出発しました。

今回の遺骨捜索地域は南冥の塔周辺です。歩いて健児の塔駐車場に向かいます。南冥の塔は前々回に当ブログでも紹介しました所であります。

我々の班は南冥の塔から下に降りたところのジャングルから入りました。少し進んだ場所で班長から「この辺で始めましょう」という指示があり、各自離れすぎない距離で捜索を始めます。ちなみにこの時期はハブが冬眠しているそうですが注意は必要です。

亜熱帯のジャングルの中はアダンの木などが密集して生えていて道はありません。私は初めての遺骨収集なのでどこを探していいのか分かりませんでした。

最初のうちは人が隠れそうな所を、と言っても当時は艦砲爆撃や火炎放射で隠れる所なんて無かったと思いますので手当たり次第に熊手で土を掘っていきました。見えてくるのは木の根や折れた木の枝ばかりです。

何度も場所を変えて岩場の下あたりを掘っていたら金属片と割れた瓶の口が出てきました。シャフト状の金属はズッシリと重く何のパーツなのか分かりません。とにかく68年前の物であったのには間違えありません。

班長が「そろそろ、お昼にしましょう」戻ってきました。手にはご遺骨のかけらを持っていました。この辺りは何回も何回も捜索している場所なので、今はこのような取り残された小さいご遺骨しかでないそうです。

私は初めて見るご遺骨を触らせていただきました。軽くて冷たかった。この方がどんな最後だったのだろうか思いを巡らしました。なにより出てこられてよかったと思います。ご遺骨は最終日に教会の方が慰霊式をしたあと国立沖縄戦没者墓苑に納められます。

班で一か所に集まり、持参した弁当などを食べて休憩しました。みんな何年もこの摩文仁を中心に毎年遺骨収集奉仕活動をしているそうです。所でこの日は天気がすごく良かったのですがジャングルの中は木々が密集していて光がほとんど入ってこないのですね。このような機会(ベテランと一緒)でなければこのようなジャングルは一人では危険なので絶対入れないと思いました。

午後は少し奥の方まで行ってそこで捜索しましょう、と指示がありました。

木炭のようですが米軍の艦砲弾の一部だそうです。とても重いです。想像してください。こんな物が一日中スコール!のように降り、炸裂していたのです。岩を直撃すれば岩の破片が殺傷兵器と化します。

日本兵の軍靴底。こういった遺留品はそのままにして置かれていました。あらためて、ここが、この場所が沖縄戦の戦場であり最後の地であったと感じました。

班の中のベテランの方から「上の方に壕があったから見てみますか?」と言われ「行きます」と二つ返事で、岩を登り自然が作り出したガマ(壕)に入った。

すでに遺骨収集は入ったようでご遺骨はなく、遺留品はそのまま置かれていた。

野外なら靴底しか残らず土に帰るのだが壕の中では、まだ原型を留めていた。

茶碗類も土には帰らず、ここでの生活感を今も残していた。

壕をあとに、さらに奥へと進んでいく。

軍物の寝袋がある。さすがに68年前当時の物ではないだろう。ではこれは誰が使った物なのか?念のため寝袋をひっくり返して下を確認したが何も無かった。

しかしこの近くに兵隊さんが生息した形跡があった。貝殻や動物の骨もある。あの寝袋はこの辺の壕の穴から出されたのかもしれない。

さらに奥へと進む。

先輩が壕の窪地を発見。草をかき分け登って行く。

信管付きの手榴弾が三つ残されていた。先輩は「これは日本軍の手榴弾、錆びてはいるが中の火薬はまだ生きているので触らないように」妙な緊張感と生々しい空気を感じました。

また、壕の奥は石が積まれていました。ここは昔の風葬の場所かもしれないそうです。

そこから近いところにも手榴弾、艦砲弾、生活用品などが一か所に集められていました。おそらく以前に遺骨収集に入った方々が集められたのだと思います。

さらに進むと波の音が聞えてきました。





海水や風の浸食でしょうか、地面の岩肌は鋭く切り立っていて歩くのは困難だった。転倒すれば怪我は必至だ。

なんとか、200~300mくらい歩いてようやく砂浜にでた。崖の窪みに誰かが建てたのだろうか木の慰霊塔らしきものが見える。

班に戻るために再びジャングルに入る。最初に入ったところから同じ道を歩いていると班のどなたかが収骨した細かいご遺骨が大きい岩の上に。収骨した人はいない。

すぐ近くにもご遺骨と遺留品が。しかし人がいません。

その少し奥に入ったところに班員全員かたまっていて一点を見つめていました。そして現場に到着した私達に気が付くと班員の一人が「出ました、出ました」と。「えっ!」

そこには学徒兵の碑が置かれていました。その奥に大腿骨のような大きい骨と椎骨があらわになっていました。班員の皆さんの推測ですと、この下にそのままの状態で一体あるのではないかということです。このような碑がある所は捜索はすでに済んでいると思われがちですが、班長が何気に(何かを感じたのでしょう)、石をどけたらご遺骨が出てきたようです。本当に出てこられて良かったと思います。この続きは明日、全員で行うということで本日の遺骨収集は解散となりました。

本部に戻り、ヘルメットや熊手を返却して、お疲れさまのお茶とお菓子を頂きました。そして帰る前に班の人の所に行きご挨拶と「明日が楽しみです」と正直な気持ちを伝えました。最近では二日間やって何も出ない時もあるそうで(出ないに越した事はないのですが、まだ数千余と言われるまだこの地に眠るご遺骨がある以上)収骨できる喜びを隠しきれない様子でした。