嘉数高地は第六十二師団、約千人の将兵と約千人の防衛隊で編成された精鋭部と、作戦場自然の要塞の上に堅固な陣地構築がなされたため十六日間も一進一退の死闘が展開されたが遂に日本軍は矢尽き刃折れ後退したが、しかし米軍にとっては「死の罠」「いまわしい丘」だと恐れられた程に両軍共に多くの尊い人命を失った激戦地である。勿論、沖縄に住む民間人も、この戦いの中で日本軍に避難を許されずに巻き添えになり、多くの方々が死んでいきました。
今は公園としてきれいに整備されていて家族連れや観光客などが公園に訪れている。
日本軍の陣地壕がまだ残されている。
両軍の損害
日本軍:64,000人 アメリカ軍:24,000人(12,000とも) いずれも戦死傷者。
沖縄戦で亡くなった朝鮮半島出身者386人を祀った“青丘之塔”
京都の塔(京都府)
嘉数に投入された第62師団独立混成旅団には京都出身兵が多く(約3500名)、そのほとんどが故郷を見ずに嘉数にて戦死しているため、摩文仁ではなく嘉数に“京都の塔”が建てられている。
嘉数に投入された第62師団独立混成旅団には京都出身兵が多く(約3500名)、そのほとんどが故郷を見ずに嘉数にて戦死しているため、摩文仁ではなく嘉数に“京都の塔”が建てられている。
島根の兵奮戦之地
沖縄式の拝所(ウガンジョ)
嘉数戦で使用されたトーチカが今も保存されている。
小銃弾のみで破壊されたトーチカが、往時の戦いの激しさを物語っている。
公園内には世界平和を願う地球儀をイメージした展望台があります。
この展望台から普天間基地を離発着する米軍機を遠望できる。