クラシンウジョウ(暗御門)のは尚巴志の三男、具志頭王子の墓だと言われ、具志頭城跡の真下にあります。沖縄戦では米軍の港川上陸に備えて自然洞穴を拡張して構築された陣地壕である。
階段を登れば壕の出入り口があります。
階段の途中には黒く焦げた跡があります。
階段をあがると、いくつかの出入り口があります。
こんな狭い出入り口もあります。
階段をあがって右のほうに歩くと大きな出入り口がありました。今まで入った壕を較べるとかなり人の手が入っているようです。この通路は暗御門の時に作られたものなのでしょうか。
通路の横には部屋も作られていました。ローソク台の跡も見えます。
通路を突き当たるとヒンヤリとした広い空間に出ます。天井もとても高いです。そして右手の方に小さな明かりがもれています。むこうにも出入り口があるようです。
壁や天井の一部は黒や白くなっています。これも焼けた跡なのでしょうか。
内部の高い所に石積みで囲った区画があります。
光の方にいくと香呂があったので、ここでお線香をあげました。
今度は反対方面を歩いていきます。
こちらにも出入り口があります。
出入り口の近くに琉球王国の初代王 尚巴志の三男、具志頭王子と伝わるお墓がありました。ここでもお線香を立てさせていただきました。
お墓の脇には陶器が置かれていました。
一度、出入り口の外にでて海側の岩場に入ると四角い光があります。
銃眼です。
45年3月23日から4月1日にかけて米軍は陽動作戦を展開して港川から上陸することはありませんでした。しかし5月下旬、日本軍の南部撤退に伴い、この壕には高射砲部隊(約300人)が配置され、再び陣地壕として使用されることになりました。
6月4日、米軍は港川を占領し、そこに物資集積所をつくって本格的な攻撃の準備をはじめます。目前の米軍に対して、クラシンウジョウの壕の日本軍部隊は6月9日の夜、洞窟を出て切り込み攻撃をしました。
沖縄県高教祖教育資料センター「ガマ」より引用